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小澤信朗

              代表挨拶              代表プロフィール

プロフィール

幼少時代の思い出


私は1977年3月31日 に生まれました。

この年は王貞治選手がホームラン世界新記録の756号を達成しました。

慶応大学のキャンパスがあることで、有名な横浜市の日吉駅から

30分ほど歩いた下田町で生まれ育ちました。

 


幼少時代から、とても気が弱い性格で、

近所の年下の男の子にも泣かされていじめられておりました。

また、当時、とても歌謡曲が好きでマッチの曲などをマイクを握って歌っておりました。

 

しかし、母親から「歌謡曲ばかり歌っていると

学校の勉強ができなくなる」といわれました。

学校の勉強ができなくなるのは困ると子供ながら思い、

その日からぴたりと歌謡曲を歌わなくなりました。

 


家族は、父、母、妹のほかに当時母方の祖父母と一緒に住んでおりました。

当時の家の近所には畑や雑木林がありました。

その雑木林からはクワガタが捕れました。

とてものどかな風景が見える一軒家に住んでおりました。

 

 

もっとも、祖母は今でいう若年性認知症になってしまっておりました。

そのため、よく祖母の相手をお手伝いとして子供のころしておりました。

 

初めての挫折、そしていじめられて恐怖でいっぱいだった中学時代

中学に進学するとき、一つの挫折を味わいました。

受験した私立中学の入試に全滅してしまったのです。

 

当時、「自分は絶対に私立中学の試験に合格して進学するものだ」

と思っていた私の鼻は見事にへし折られました。

 

すべての私立中学に不合格だったことを知ったその日、

今まで勉強した参考書やノートを泣きながら庭に破り捨てました。

破り捨てた参考書やノートは父親が庭で燃やしてくれました。

 


ちょうど家庭の事情もあり、

中学校は練馬区南ヶ丘中学校に転校しました。

そして、その時、大変なことに巻き込まれました。

 

私は中学時代、「高校こそ偏差値の高いいい高校に行きたい」と思っておりました。

そこで、内申点を少しでもよくしてもらうために、

「先生にとって、とってもいい子」でいました。

 


そうした態度は、学校の友人たちからしたら「いやな奴」と思われたでしょう。

ほどなく、いじめられる対象になりました。

特にひどかったのは、中学3年生のときでした。

トイレで激しい暴行を受け、「もしかしたら、本当に殺されるかも」

という恐怖にさらされました。

 

 

人生で一番ひどいとき、最悪な時でした。その後、親にも強く言われたことで、

さすがに先生に報告したことでいじめは終結の方向に向かいました。

 


しかし、「自分には未来がある。勉強を頑張ればその先がある!」

と信じて中学3年間は勉強をしておりました。

幸い、塾には気の合う他の学校の友人もおりましたので、

そこだけが救いでした。

 

最高の時間を過ごすことができた高校時代


こうして、最悪だった中学3年間を卒業した後、

高校は板橋にある私立城北高校に進学しました。

 

高校時代は、中学時代と変わって、楽しい3年間を送りました。

グリークラブ(男声合唱部)に所属し、3年間、歌ばかり歌っておりました。

 

友人もできて、みんなで一生懸命頑張ることの素晴らしさも

たくさん学ぶことができました。

 

まさにこの時期の3年間とそこで、知り合った仲間は、今でも最高の宝です。

 

 

大学時代、充実して楽しかったたけれど・・・

合唱ばかりやっていたからというわけではありませんが、

大学受験は現役時代は失敗しました。

 

そして、1年後、高校時代の担任勧めで、

担任の出身地である山形大学人文学部に進学しました。


山形大学でも3年間混声合唱団に所属し、楽しく過ごしました。

 

 

合唱団では指揮者まで任せていただいたこともあり、とても充実しておりました。
しかし、3年生も終わるころ、一つの疑問がでてきました。

 


「これからどうしよう」

 

 

そう、就職活動の時期にきたのです。

当時、私は「サラリーマンはいやだな。自由業がいいな」と

極めて漠然と考えておりました。

 

そして、「自由業なら強力な資格を身につけたほうがいいかも。

それなら、弁護士を目指そう。(旧)司法試験に合格したとなればすごいことだしね!」と考えました。

 

そのため、就職活動は全く行わず、

4年生になろうとしているときも、ふらふらしておりました。

 


しかし、ふらふらしていても、何もやる気が起きません。

さすがに「このままではいけない」と思うようになりました。

 


「勉強は東京に帰ってからでもできる。

4年生の一年間は、今まで全くやっていなかったけど、

やりたかったことをやろう!」と決意しました。

 

そして、以前からやりたかったボランティア活動をおこなうことを始めました。

 

「あなたには福祉の現場を支えることができるサポートをしてもらいたいの!」

どんなボランティア活動家であったかというと

知的障害のある小中学生たちと関わるボランティア活動です。

実はずっと、ボランティア活動をしたいと思っておりました。

 

 

たまたま私の友人の一人が知的障害のある子供たちと一緒に

水泳をするボランティア活動をしておりました。

友人にお願いして、その水泳ボランティア活動に入れていただきました。

また、別の機会から、

知的障害のある小中学生の学童保育のお手伝いをすることにもなりました。

 


はじめは「子供たちとどうかかわったらいいの?」という気持ちがあり、

とってもぎこちなく接しておりました。

しかし、子供たちの素直に向かってくる表情に、

私が和むことができるようになりました。

 


そして、知的障害のある小中学生の学童保育を運営されている方から、

活動しているときに運命の言葉をいただきました。

 


「あなたには福祉の現場を理解できるサポートをしてもらいたいの。

福祉の現場で働いている方が

バーンアウトしないような支えになってもらいたい。」

 

 


実をいうとその時までは、「福祉の現場で働くこともいいかも」と思っておりました。

 

 

しかし、その言葉を聞いたとき

「よし、福祉の現場で働いている方の気持ちが理解できて、

支えることができる人間になろう!」と思いました。

 


そして、大学卒業後、東京に戻りました。

そして、東京の実家から司法試験専門学校に通うようになりました。

 

まったく成績が上がらない・・・

司法試験専門学校に通うようになって、

(旧)司法試験合格に向けて勉強を開始しました。

はじめのころは勉強もとても楽しくできました。

しかしながら、日本最難関の司法試験です。

 

 

ちょっとやそこら勉強したところで成績はあがりません。

また、周りの受験生もとても優秀です。

「だめだぁ~。全然、勉強する気になれない。」

徐々に勉強をしなくなっていきました。

 

 

司法試験とは関係のない本を読んだり、知的障害のある子供のボランティア活動をしたり、あるライターさんのお手伝いをしたり、と次第に関係のないことばかりやる時間が増えました。

 

 

そして、それに伴い、ますます勉強しなくなる、という悪循環でした。

こんな状態で司法試験に合格できるわけがありません。


一応、司法試験の直前になると焦って勉強するのですが、

そんな甘くないのが現実です。

 

司法試験に合格できるとはとても思えない状態で、

あっという間に4年間過ぎてしまいました。

 

 

もう、待てない。これでダメなら方向転換して!

忘れもしない2004年2月の寒い時のことでした。

当時フィアンセ(今の妻)から言われた一言

「もう、待てない。これでダメなら方向転換して!」


誰よりも司法試験合格を願っていた妻からそう言われたことは、

本当に骨の髄までこたえました。

そんなことを言わせた自分もとても情けなかったです。

 

フィアンセと幸せになりたかったこともあり、

この2004年を司法試験受験の最後の年にしようと決めました。

 


最後は自分なりに頑張りましたが、結果的には不合格でした。

こうして私の司法試験受験生の生活は終わりました。

 

残ったのは、27歳無職、職歴なしという現実だけでした。

 

行政書士試験への挑戦、そして、就職活動

試験が終わった日、

両親に「司法試験をやめて就職活動をしたい。」ということを伝えました。

 

その時、父親から

「司法試験の勉強をやめるのはいいけど、落とし前をつけなくていいのか?

法律の国家資格は別に司法書士や行政書士もあるだろ。

就職活動はどちらか合格してからでも遅くないのでは」と言われました。

 

また、同じ時期に大学の恩師に同じような相談をしたとき

「あなたは気持ちがやさしいから、弁護士になるより、

司法書士や行政書士になるほうがいいと思うわ。」

ということをおっしゃっていただきました。


残念ながら司法書士試験は願書が締め切られておりました。

しかし、行政書士試験は、

まだ、4か月ほど先で願書は締め切られておりませんでした。

 

そこで、行政書士試験合格を目指して勉強を再開しました。

それとともに、就職活動のことも考え、宅建試験の勉強も同時に始めました。


幸いなことに、行政書士試験も宅建試験もこの年1度で合格することができました。

(現在の試験制度と違って当時は行政書士試験と宅建試験は

1週間しか空いておりませんでした。当時は本当にきつかったです(笑)。)

 

 

その後、思い残すことなく、就職活動をはじめました。

といっても、1度も正社員として働いたこともありませんでした。

また、アルバイトもほとんど行ったことがありません。

 

 

そんな自分を行政書士事務所が採用してくれるとは、

正直、思えませんでした。

また、結婚も控えていたことから、

普通にサラリーマンとして働くことを決意しました。

 


働くときに自分が大事にしていたこと。

それはやはり「福祉の現場の方のサポートを行いたい」ということでした。

 

 

その思いを受け止めてくださった

公益法人様・社会福祉法人様向け会計システムや介護保険システムを

開発・販売している会社様からご縁をいただき、

平成17年2月から働き始めました。

 

 

2週間で辞めたくなった現実、そして、転機

私ははじめ会計システムの営業職として採用されました。

しかし、会計システムの営業職の仕事は正直楽しいと思えませんでした。

 

 

当時はパソコンすらろくに触ったこともない状態で

IT関係の仕事を始めてしまったため、

わからないことだらけで、とても苦痛でした。

 

 

正直、2週間で会社を辞めたくなりました。

毎日、気持ちがつぶれそうになりながら、会社にいっておりました。

 

 

その時、一つの転機がありました。それは私の歓迎会でのことでした。

ちょうど私は介護保険システムのお客様サポートを行っている先輩と

話しておりました。

 

 

その先輩は、僕に対していきなりこういいだしました。

「小澤君、障害のある方のボランティアやっているんだって。

だったら、介護保険や支援費(後の障害者自立支援法)のことも興味ある?」

 


その先輩とはほとんど話したことがありませんでしたが、

どうも私のことを話に聞いていたようでした。

その後、その先輩は、ケアマネジャーさんのお仕事のことやヘルパーさんとの

エピソードのことなどをお話しました。

 

 

特に印象に残ったお話としては

利用者さんがお寿司を喉につまられてお亡くなりになられた現場に立ち会ったこと。

そして、お寿司を食べることを許可してしまったヘルパーの責任者の方の取り乱したこと。

 

その時「介護の仕事は本当に大変なのだな」と実感したこと。

ということを話してくださいました。

 

 

その話を聞いて「やはり、介護の現場で働いている方の役に立ちたい。

介護保険システムについてもっと関わりたいな」と思うようになりました。

辞めたいと思っていた気持ちはウソのようにきれいさっぱり消えました。

もう一度、この会社で頑張ろう、と思いました。

 


その後、「介護保険システムにもっと関わりたい」ということを営業所長に事あるごとにアピールをしました。

ちょうど、介護保険システムのお客様サポートに欠員がでました。

 

所長の配慮で

平成17年5月から介護保険システムのお客様サポートとして異動になりました。

 

「お前はケアマネジャーの仕事をなんだと思っているのだ!」

介護保険システムのお客様サポートの責任者は、

歓迎会で私にいろいろとケアマネジャーやヘルパーとのことをお話してくださった先輩でした。

 

自分が前向きな気持ちでがんばるきっかけを与えてくださった先輩の下で働けることは、とてもうれしいことでした。

 


しかし、その先輩は大変厳しい方でした。

毎日、厳しくしかられました。特に印象に残っていることがあります。

 

 

この日、私は一人で社内でお客様の対応を行っておりました。

その時、あるケアマネジャーさんからシステムのトラブルでお電話をいただきました。

しかし、どうしてもトラブルの要因がわかりませんでした。

結局、私一人では解決することができませんでした。

 


先輩が夜帰社した際、報告しました。報告後、上司に言われた言葉です。
「お前はケアマネジャーの仕事をなんだと思っているのだ!」

とても激しく怒鳴られました。

そして、その後、こうおっしゃいました。

 


「ケアマネジャーは、利用者の状態を常に確認して動いているんだ。

パソコンのトラブルがきっかけで、利用者のお宅に行けなくなったらどうするのだ?

 

もし、ケアマネジャーが利用者のお宅に行っていれば気づけたかもしれない変化に

気づくことができずに、利用者がなくなったら、お前は責任が取れるのか?

 

人の命を預かっている仕事をしている人たちの仕事をお前の技術が未熟のせいで止めるな!

 

この時、初めて自分の仕事に責任を持たないといけない、と思いました。

「自分は人の命を預かっている方をサポートしているのだ」と。

 

「お前なんかぶっ殺してやる!」

 

その後、私に仕事を教えてくれた先輩は会社を去りました。

また、会社の事情もあり、私一人で介護保険システムのお客様サポート業務をおこなうようになりました。

 

 

そんなある日、北海道のあるケアマネジャーのお客様の元に

システムのメンテナンスのために訪問しておりました。

そして、メンテナンス中に事件は起きました。

 


「お前なんかぶっ殺してやる!」

 


精神が不安定な高齢の利用者さんが

ケアマネジャーさんに電話口で脅かしていました。

 

その電話は3分に1本の割合でかかってきました。

メンテナンスをしている私も

さすがにケアマネジャーの方の様子がおかしいことに気づきました。

 

 

ケアマネジャーの方もしまいには

「小澤さん、困っちゃうよね。いやになっちゃうんわぁ~」

と言いながら電話を取っておりました。

 


私は「ケアマネジャーのお仕事は大変ですねぇ~」と

愛想笑いをすることしかできませんでした。

 

・・・私はこのケアマネジャーさんに

協力してあげることはできないのか?

 

ただ、愛想笑いすることしかできないのか?

 


帰りの飛行機の中で自問しました。

それほど、その現場は、ショッキングでした。

「法律家になろう。

ケアマネジャーのような現場に出ることはできないけれど、

現場の人の気持ちがわかる法律家になろう!」

 

そうした思いを秘め、仕事をしながら、

行政書士として開業する準備を行いはじめました。


そのうちに、ケアマネジャーさんやヘルパーさんからも

「とってもわかりやすく教えてくれる。」「気軽に教えてくれる」

というお褒めの言葉をいただくようになりました。

 

また、2010年のバレンタインデーには、

チョコレートとファンレターまで送られてきました。

 

 >>お客様の声はこちら

 

わかりやすく教えることができる反面、

丁寧すぎて相手の方を緊張させてしまう、

という欠点があります。

 

しかし、自分のミッションとして

「わかりやすくお伝えする。」

「最後までしっかりお話を聞く」

ということを念頭に今日も走り続けます。

 


2010年9月に中野で

介護業界を支える行政書士として開業しました。


最後までお読みいただき、本当にありがとうございます!

 

 

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